蕭道成
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高帝 蕭道成 | |
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斉 | |
初皇帝 | |
王朝 | 斉 |
在位期間 | 479年 - 482年 |
姓・諱 | 蕭道成 |
字 | 紹伯 |
諡号 | 高皇帝 |
廟号 | 太祖 |
生年 | 427年11月18日 |
没年 | 482年5月2日 |
父 | 蕭承之 |
年号 | 建元:479年 - 482年 |
蕭道成(しょう どうせい、427年11月18日 - 482年5月2日)は、南朝斉の初代皇帝。宋の後廃帝(蒼梧王)を殺害し、自ら擁立した順帝より禅譲を受けて斉朝を開いた。
略歴
蕭氏は蘭陵(山東省)を本貫とし、前漢の丞相・蕭何の子孫と称した。宋代に淮陰(江蘇省淮陰市)に移っている。父の蕭承之は宋初に武功があったが、当時の貴族制社会においては軍人は寒門(家格が低い出身者)でしかなかった。
蕭道成は447年に雍州刺史・蕭思話の参軍となり、対北魏戦に戦功を挙げた。明帝より驍騎将軍・西陽県侯・南兗州(えんしゅう、兗は大に兄)刺史となり、淮陰にて北魏に対抗した。淮陰では自費で兵士を集めて勢力を拡大し、一時は明帝に叛乱を疑われることもあったが、明帝が崩御する際に右衛将軍・衛尉に進んだ。
474年に後廃帝の叔父の桂陽王劉休範の反乱が発生する。これを蕭道成が鎮圧し、この武功により中領軍となり、禁軍を掌握して独裁体制を築いた。477年、これに反抗した後廃帝は蕭道成を誅殺しようと計画したが、これに対して後廃帝を殺害、順帝を擁立し、自らは侍中・司空・録尚書事・驃騎大将軍となった。
蕭道成の専横に反対する沈攸之・袁粲・劉秉らが兵を起こすが、これを鎮圧して朝政を掌握、479年に相国・斉王となり、順帝よりの禅譲を受けて斉を建てた。
即位した高帝は、権力掌握の時期から建国後にかけて宋の皇族を多数殺害したために不評を買った。内政面では戸籍の整備を行い部曲(私兵)の制限を行うなどの政策を実施し、自らは倹約に励み、次代の武帝時代まで斉の治世としては小康状態を保った。しかし斉は23年しか存続しなかったために、安定した国情を造出したとは言い難い。
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