蒲鮮万奴
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蒲鮮万奴(ほせんばんど 生没年不詳)。13世紀前半、中華人民共和国東北部(満州)からロシア沿海地方で活動した武将。 金に仕えていたが、大真国(東夏国)を建国した。
独立
1214年、金の遼東宣撫使となり、モンゴルの後押しを受け反乱を起こした耶律留哥と戦うが敗北、翌年、再び鎮圧に向かうが、自らも反乱を起こし天王として独立を宣言する。当初の拠点である遼東地域は、出身国の金もさることながらモンゴルの影響が非常に強く、建国直後にはモンゴルの後押しを受けた耶律留哥と交戦して再度交戦して敗北、東方へ強行移動し1217年には、豆満江流域に移動して首都南京を建設した。 その後は、モンゴルや耶律留哥の軍と共同歩調を取り、周辺の諸国へ出兵するなどの活動を見せた。
その後、国力が増したモンゴルは周辺諸国の平定に乗り出した。1233年にグユクが本格的に侵攻し、大真国は完全に消滅した。蒲鮮万奴は捕らえられるが、消息は不明である。