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芦田淳

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芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - )は、日本ファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ代表取締役社長。

人物・来歴

日本統治時代の朝鮮全羅北道全州において、京都府出身の両親のもと、1930年に生まれる[1]。1951年、東京高等学校を卒業。

皇后美智子皇太子妃時代の専任デザイナーを務めたことで知られている。アトランタオリンピック日本選手団、公式ユニフォームのデザインを担当。また全日空など有名企業のユニフォームを多数手かげている。師匠はイラストレーター中原淳一

妻は株式会社ジュンアシダ代表取締役副社長の芦田友子(あしだ ともこ、1933年1月22日 - )。次女は同じくファッションデザイナーの芦田多恵

年譜

  • 1930年 開業医の家に、8人兄弟の末っ子として生まれる。
  • 1951年 東京高等学校卒業後、中原淳一に師事。2年間秘書を務める。
  • 1960年 髙島屋の顧問デザイナーに就任(1975年まで)
  • 1960年 帝人の顧問デザイナーに就任。
  • 1963年 有限会社テル工房をオープン。プレタポルテの製作販売を始める。
  • 1966年 当時の皇太子妃美智子の専任デザイナーとなる。以降、1976年まで10年間務める。
  • 1976年 銀座みゆき通りに、自社ビル店鋪「ブティック・アシダ銀座」をオープン。
  • 1977年 パリ事務所を開設。パリ・プレタポルテ・コレクションにデビュー。
  • 1978年 テル工房を株式会社ジュンアシダに変更。
  • 1993年 皇太子妃雅子の御成婚衣装を拝命。
  • 1989年 パリのフォーブル・サントノーレ街にブティック「アシダパリ」をオープン。
  • 1993年 代官山フォーラムに「ブティック・アシダ本店」オープン。
  • 1994年 広島アジア大会、日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。
  • 1994年 社団法人科学技術国際交流センターに芦田基金を設立。
  • 1996年 アトランタオリンピック、日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。
  • 2001年 生産管理・縫製部門を分社し、株式会社ジュンアシダ生産本部を設立。

主なユニフォームデザイン

  • 全日空 - 4代目(1970年-1974年)、7代目(1982年-1990年)、8代目(1990年-2005年)
  • 帝国ホテル - 1990年-2007年8月。

受賞・受章歴

  • 1971年 FEC(ファッション・エディターズ・クラブ)賞
  • 1987年 イタリア、功労勲章カバリエーレ章
  • 1991年 紫綬褒章
  • 2000年 フランス、国家功労章オフィシエ章
  • 2003年 イタリア、功労勲章カヴァリエーレ・ウフィチャーレ章
  • 2006年 旭日中綬章
  • 2006年 ルクセンブルク、国家功労章オフィシエ章

書籍

脚注

  1. ^ 日本経済新聞 2009年8月1日 私の履歴書 芦田淳

外部リンク