羽田正親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Evans700 (会話 | 投稿記録) による 2022年11月4日 (金) 15:06個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
羽田 正親
時代 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 文禄4年(1595年
別名 六蔵(通称
官位 従五位下長門守
主君 豊臣秀長秀保秀次
氏族 羽田氏
テンプレートを表示

羽田 正親(はねだ まさちか)は、安土桃山時代武将大名豊臣氏の家臣。大和国小泉城主。

略歴

近江国上羽田村の出身[1]羽柴秀長に仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは桑山重晴とともに賤ヶ岳砦を守った『武家事紀[1]

同13年(1585年)、大和国添下郡に4万8千石を与えられ『大和志料』[1]従五位下長門守に叙任される[1]

文禄3年(1594年)4月に秀長の養嗣子であると秀保が没すると、秀次に仕えたとも、秀吉の直臣となったとも伝えられる[1]

同4年(1595年)、豊臣秀次事件に連座し、越前国に追放されて自害した『川角太閤記[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 高柳光寿、松平年一『戦国人名辞典 増訂版』吉川弘文館、1973年7月20日、191頁。