美和土生

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美和土生
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
別名 氏:神、名:壬生
官位 従五位上駿河守
主君 孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
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美和 土生(みわ の はぶ)は、奈良時代皇族貴族太政大臣高市皇子の孫か。、名は壬生とも記される。官位従五位上駿河守

経歴[編集]

孝謙朝天平勝宝3年(751年)兄弟と思しき岡屋王と共に美和真人姓を与えられて臣籍降下する。

天平宝字8年(764年)2月に従五位下叙爵し、同年発生した藤原仲麻呂の乱終結後に摂津亮に任ぜられる。称徳朝から光仁朝前半の約10年に亘って主殿頭を務め、光仁朝では伊勢介丹波員外介など近国の国司を兼ねると共に、宝亀4年(773年)従五位上に叙せられている。

光仁朝後半の宝亀8年(777年)員外左少弁次いで右少弁と弁官に遷るが、翌宝亀9年(778年)には駿河守として地方官に転じた。

官歴[編集]

続日本紀』による。

参考文献[編集]