篠原自遁
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 肥前守(官途名)、実長 |
主君 | 三好実休→長治→十河存保 |
氏族 | 篠原氏 |
父母 | 父:篠原長政 |
兄弟 | 長房、佐吉兵衛 |
妻 | 小少将(岡本牧西の娘) |
子 | 長秀、右近 |
篠原 自遁(しのはら じとん)は、戦国時代から安土桃山時代の阿波国の武将。木津城主。
生涯
主君三好長治の生母・小少将と通じたことを兄とされる篠原長房に咎められると、長治に長房を讒言してこれを攻め滅ぼさせた(上桜城の戦い)。天正6年(1578年)に十河存保の三好氏相続に反対した為、合戦となったが敗れ、その後存保の勝瑞城入城の先導役となる。
その後、天正10年(1582年)の長宗我部元親による阿波攻めでは十河側についたが、中富川の戦いや勝瑞城攻防戦には参戦しなかった。長宗我部方に服さず抵抗していたが、唯一の頼みであった織田信長が本能寺で討たれたことを聞くと、木津城を開けて淡路へ落ち延びた。
参考文献
- 『日本城郭大系 第15巻』新人物往来社、1979年