第二十三日東丸

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漁船時代の第二十三日東丸
炎上する第二十三日東丸

第二十三日東丸(だいにじゅうさんにっとうまる)とは日本の漁船特設監視艇

日本海軍太平洋東方面の警戒を強化するため1941年(昭和16年)末から監視網の増設と強化を図り116隻の監視艇を徴用配備し、第一、第二、第三監視艇隊を編成した。第二十三日東丸はこのとき徴用された漁船の一隻で、すくなくとも13ミリ機銃一丁を装備していたと考えられる。

1941年(昭和16年)12月1日に特設監視艇として徴用。第五艦隊の第二監視艇隊(1942年2月1日編成)に所属[1]。第二監視艇隊は第二十二戦隊および第一、第三監視艇隊とともに哨戒部隊(軍隊区分、2月1日発令)として日本本土の東方で哨戒任務に従事した[2]

特設砲艦「安州丸」および他の監視艇12隻と共に1942年2月17日に横須賀から哨戒に出撃[3]。これらは3月6日までに釧路に帰投した[4]。次の出撃は3月12日で、釧路より出撃し哨戒に従事して3月28日までに釧路に帰投した[5]

沈没

4月4日、特設巡洋艦「粟田丸」、特設砲艦「安州丸」および「第二十三日東丸」を含む監視艇17隻は釧路より出撃[6]。4月17日に次の部隊と交代して帰路についた[7]

4月18日、釧路へ向かっていた「第二十三日東丸」は6時30分(日本時間、以下同じ)に北緯36度東経152度10分で敵飛行機発見を報告[8]。次いで敵空母発見も報告(6時50分)[9]。約30分間で合計6通の報告を行った後消息を絶った[10]。「第二十三日東丸」は日本本土空襲を企図して接近中であったアメリカ艦隊(空母 「エンタープライズ」、「ホーネット」など)と遭遇し、撃沈されたのであった。6時41分、アメリカ艦隊の中の一隻、軽巡洋艦「ナッシュヴィル」は60から100トン、全長21メートルの漁船を発見[11]。砲撃許可を求め、許可を得られると「ナッシュビル」は6時53分に砲撃を開始したが、命中するまでに29分の時間と6インチ砲弾915発を消費した[12]。こうして沈められたのが「第二十三日東丸」であり、7時23分に沈没[13]。生存者2名が確認されたものの「ナッシュビル」到着前に沈んでしまっており[12]、艇長中村盛作兵曹長以下乗員14名全員戦死となった[14]

後日、日本海軍は第二十三日東丸に対し感状を授与した(昭和18年3月15日附)[15]


諸元

  • トン数:90t[16]

艇長

  • 中村 兵曹長[16]

脚注

  1. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、90、98ページ
  2. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、90-91ページ
  3. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、114ページ
  4. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、130-131ページ
  5. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、132ページ
  6. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、142、144ページ
  7. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、142ページ
  8. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、167ページ、戦史叢書第85巻 本土方面海軍作戦、82ページ
  9. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、167ページ
  10. ^ 戦史叢書第85巻 本土方面海軍作戦、82-83ページ
  11. ^ ドーリットル空襲秘録、36、39ページ
  12. ^ a b ドーリットル空襲秘録、39ページ
  13. ^ ドーリットル空襲秘録、39、142ページ
  14. ^ ドーリットル空襲秘録、142ページ
  15. ^ 昭和18年7月9日(金)海軍公報(部内限)第4435号 pp.33-34」 アジア歴史資料センター Ref.C12070432300 〔 ○感状|感状 第二機動部隊 昭和十七年六月「アリユーシヤン」群島方面作戰ニ於テ濃霧ヲ冒シ惡天候ニ耐ヘ長馳「ダツチハーバー」ヲ反覆攻撃シ所在ノ敵艦船飛行機ノ大部ヲ撃破シ軍事施設ヲ潰滅シタルハ爾後ノ作戰ニ寄與セル所極メテ大ニシテ其ノ功績顕著ナリト認ム 仍テ茲ニ感状ヲ授與ス  昭和十八年三月十五日 聯合艦隊司令長官 山本 五十六|特設監視艇 第二十三日東丸 昭和十七年四月十八日敵機動部隊本土東方洋上ニ來襲スルヤ逸早ク之ヲ捕捉シ機ヲ失セズ敵發見ノ第一報ヲ發スルト共ニ爾後敵ノ執拗ナル攻撃ヲ冒シテ飽ク迄之ニ觸接シ其ノ最後ニ到ル迄刻々適切ナル敵情ヲ報告シタルハ我作戰ニ寄與セル所極メテ大ニシテ其ノ功績顕著ナリト認ム 仍テ茲ニ感状ヲ授與ス  昭和十八年三月十五日 聯合艦隊司令長官 山本 五十六 〕
  16. ^ a b 高村暢児著『物語日本史』第10巻「日清日露戦争・太平洋戦争」、学習研究社(1967年)、250頁。

参考文献

関連項目