笠広庭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。豆もち (会話 | 投稿記録) による 2014年4月6日 (日) 05:12個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

笠 広庭(かさ の ひろにわ、生年不詳 - 承和8年閏9月23日841年11月9日))は、平安時代前期の貴族玄蕃助・笠庭麻呂の子とする系図がある[1]官位従四位下美濃守

経歴

弘仁10年(819年従五位下叙爵[2]天長5年(828年)従五位上に叙せられ[3]承和5年(838年)三階昇進して従四位下に至る[4]美濃守在任中の承和7年(840年淳和上皇崩御に伴い、本来であれば平安京から五位の官人を派遣して固関を行うべきところ、不破関のみ便宜的に国守の広庭が固関を命じられている[5]

承和8年(841年)閏9月23日卒去。最終官位散位従四位下。[6]

系譜[1]

  • 父:笠庭麻呂
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:笠豊興
    • 男子:笠豊宗

脚注

  1. ^ a b 鈴木真年『諸系譜』第一冊,笠朝臣
  2. ^ 日本後紀』弘仁10年正月7日条
  3. ^ 『日本後紀』天長5年閏3月2日条
  4. ^ 続日本後紀』承和5年正月7日条
  5. ^ 『続日本後紀』承和7年5月8日条
  6. ^ 『続日本後紀』承和8年閏9月23日条

参考文献