コンテンツにスキップ

穆宗 (遼)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Vagobot (会話 | 投稿記録) による 2012年3月27日 (火) 08:22個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.2) (ロボットによる 追加: sh:Car Muzong od Liaoa)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

穆宗 耶律述律
4皇帝
王朝
在位期間 951年10月11日 - 969年3月12日
姓・諱 耶律述律
(漢風姓:劉璟、後に劉明と改名)
諡号 天順皇帝
廟号 穆宗
生年 931年9月19日[1]天顕5年)
没年 969年3月12日応暦19年)
太宗(長男)
靖安蕭皇后
年号 天禄 : 951年
応暦 : 951年 - 969年

穆宗(ぼくそう、931年9月19日 - 969年3月12日)は、の第4代皇帝(在位:951年10月11日 - 969年3月12日)。契丹名は耶律 述律

951年、第3代皇帝であった従兄の世宗が暗殺されると、世宗一族を滅ぼし自ら即位した。しかし即位後の穆宗は奢侈に走り、重臣も権力争いからそれぞれの派閥に分裂、遼は次第に衰退の兆しを見せ始めた。このため964年満州北部で遼に対する大規模な反乱が起こったが、966年に鎮圧することに成功している。

王朝内の混乱から、穆宗は969年に側近により暗殺された。齢39。史書によれば、性格は非常に残忍で拷問を好んだとある。

脚注

  1. ^ 《辽史·太宗本纪》记载:天显六年,“八月庚申,皇子述律生。”用万年历换算为公历则是931年9月19日。