秦綱手

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秦綱手
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 天武天皇9年5月21日680年6月23日
官位 大錦上
主君 天武天皇
氏族
父母 父:秦河勝または秦和賀
兄弟 綱手、石勝、朴市秦田来津、物主
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秦 綱手(はだ の つなて)は、飛鳥時代の人物。、死後に忌寸秦河勝または秦和賀の子とする系図がある[1]冠位大錦上壬申の乱の功臣。

秦氏は渡来系の氏族である。『日本書紀』が壬申の乱を記述するくだりに綱手の名は現れない。天武天皇9年(680年)5月21日に死に、壬申の年の功により大錦上の位を贈られた。それから16年後の持統天皇10年(696年)5月3日に、大錦上秦造綱手が忌寸の姓を与えられた。事情は不明だが、遺族の申請によるものかと推測する説がある。

脚注

  1. ^ 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年