神保長城

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神保 長城(じんぼう ながなり)は戦国時代武将。父は神保長職、兄に神保長住がいる。

略歴

神保長職の次子と考えられている。反上杉派の兄・長住が、親上杉派の父長職から敵視されて出奔し、織田信長に仕えた。そのために長城は、長職から家督を譲られたとみられ、やがて出家して宗昌と名乗った父と共に連署で禁制を発給している。しかしその後、父長職は再び上杉家を離反して一向一揆と和睦したため、神保氏は反上杉派への転換を余儀なくされる。元亀三年頃に父長職は死去したと見られるが、後を継いだ長城は父の路線を引き継いだものと思われ、1576年上杉謙信によって本拠増山城を攻め落とされた。長城はこの時討死したものか、その後の消息は不明である。

関連項目