石兵八陣

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石兵八陣(せきへいはちじん)とは、『三国志演義』で登場する架空の陣。 「 唐太宗李公衛問 」という本全体を通して、8つのアレイの開発と改善のプロセス全体を見つけることができる。  「8つの配列図」は、古代中国黄帝にまでさかのぼることができる。 呂尚、司馬穰哉、管仲孫子などの継続的な改善と改善の後、諸葛孔明は三国時代に頂点に達し、8つの配列に完成した。 唐の時代、李景は九軍と八列の指揮が複雑すぎると信じて、六花列に単純化した。

太宗の李世民皇帝は、8番目の配列、5つの配列、6つの花の配列、および他の多くの質問について李靖に何度も尋ねた。 太宗と李靖のスピーチに基づいた思想に精通した人々によって編集されたと一般的に信じられている。


関羽の弔い合戦である夷陵の戦いの際、劉備の破れかぶれの戦法を危うく感じた諸葛孔明軍が敗走することを見越し、巨石によって前もって作成された。定期的に陣内で突風や波が起こるようになっている。物語中では、劉備軍を追ってきた陸遜軍は異様な殺気を放つこの陣を見て撤退した。

モデルとなっているのは晋書桓温伝に見られる諸葛亮の八陣を模した魚腹に作られた石陣である(三国志諸葛亮伝に八陣の記述がある)。桓温はこれを見て孫子の常山の蛇の勢であると高く評価した。