登龍門

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後漢書』李膺伝より

登龍門(とうりゅうもん)は、成功へといたる難しい関門を突破したことをいうことわざ

特に立身出世のための関門、あるいはただ単にその糸口という意味で用いられる。の滝登りともいわれ、鯉幟という風習の元になっている。

壁画に描かれた李膺

「膺は声明をもって自らを高しとす。士有り、その容接を被る者は、名付けて登龍門となす」。

この諺は『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来する。それによると、李膺宦官の横暴に憤りこれを粛正しようと試みるなど公明正大な人物であり、司隷校尉に任じられるなど宮廷の実力者でもあった(党錮の禁を参照)。もし若い官吏の中で彼に才能を認められた者があったならば、それはすなわち将来の出世が約束されたということであった。このため彼に選ばれた人のことを、流れの急な龍門という河を登りきった鯉はになるという伝説になぞらえて、「龍門に登った」と形容したという。

なお「龍門」とは夏朝の君主・がその治水事業において山西省黄河上流にある龍門山を切り開いてできた急流のことである。

関連項目