田中修 (政治家)

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田中 修(たなか おさむ、1888年明治21年)11月 - 没年不詳)は、日本の内務官僚福岡県大牟田市長

経歴

福岡県に永利伝次郎の二男として生まれ、田中政の養子となった[1]1915年大正4年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、翌々年に高等文官試験に合格した[2]愛知県属、同南設楽郡長、北海道庁空知支庁長、京都府理事官奈良県書記官・学務部長、佐賀県書記官・警察部長鳥取県書記官・警察部長群馬県書記官・警察部長広島県書記官・警察部長佐賀県書記官・内務部長、愛媛県内務部長、鹿児島県総務部長、長野県総務部長などを歴任した[1][2]

退官後の1938年(昭和13年)、大牟田市長に就任し、1946年(昭和21年)まで務めた。

脚注

  1. ^ a b 『帝国大学出身名鑑』
  2. ^ a b 『全国市長銘鑑』pp.106-107

参考文献

  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。 
  • 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。