甘露寺満子
満子女王 | |
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北白川宮家、甘露寺家 | |
続柄 | 北白川宮能久親王の第一王女 |
身位 | 女王 → 降嫁 |
敬称 | 殿下 → 降嫁 |
出生 |
1885年10月19日 日本 |
配偶者 | 甘露寺受長伯爵 |
子女 | 一覧参照 |
父親 | 北白川宮能久親王 |
母親 | 申橋幸子 |
甘露寺 満子(かんろじ みつこ、1885年(明治18年)10月19日[1] - 1975年(昭和50年))は、日本の元皇族、甘露寺受長伯爵夫人。皇族時代の名と身位は満子女王。
生涯
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北白川宮能久親王と側室の申橋幸子の娘として生まれる。1895年(明治28年)10月28日、父能久親王と死別。
1904年(明治37年)1月12日、甘露寺義長伯爵の嗣子甘露寺受長との結婚の勅許が下りた[2]。翌月には日露戦争が開戦する事態となった。同年11月14日、甘露寺受長に降嫁[3]。
義弟甘露寺方房の妻澄子が早世した際には、京都旅行の思い出と共に次の和歌を詠んで澄子を偲んだ[4]。
「 | 誰もみなやさしき君としのぶ草 涙のあめに色やそふらむ | 」 |
—『澄子』 p.173 |