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甘粕景持

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川中島の甘粕近江守(歌川国芳画)

甘粕 景持(あまかす かげもち、?-慶長9年6月26日1604年7月22日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏家臣。越後国飯塚灰毛城主。初名は長重(ながしげ)。後に主君である長尾景虎(上杉謙信)の一字を拝領して景持と改名した。近江守。同じく上杉氏の家臣である甘糟景継は遠縁にあたる。

生涯

柿崎景家と並ぶ武勇を誇り、第四次川中島の戦いに於いては殿軍を務め、その勇猛な戦いぶりや引き方の鮮やかさで敵方の武田信玄も「殿軍に謙信がいるのか」と賞賛したと言う話も残っている。

謙信死後の御館の乱では上杉景勝を支持。その後の新発田重家の乱時は上杉方の三条城に入り木場城の補佐や新潟城沼垂城攻略にあたる。

主家の移封に従い、会津米沢と移り、米沢にて死去。

子孫は代々米沢藩士として仕えた。甘粕事件を起こしたことで知られる甘粕正彦は子孫。

関連項目