猪俣喜藤

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猪俣 喜藤(いのまた きふじ、1885年明治28年)2月 - 没年不詳)は、日本内務官僚

経歴

大分県出身。1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[1] 。逓信管理局書記、秋田県属、同河辺郡長、広島県佐伯郡長、鹿児島県理事官を経て、宮城県書記官・学務部長、石川県書記官・学務部長を経て、1929年(昭和4年)に福岡県書記官・学務部長に就任した[1]

1931年(昭和6年)に退官した後は、別府市岡山市尼崎市助役を歴任した[2]

脚注

参考文献

  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1932年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。