漢中府

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漢中府(かんちゅうふ)は、中国にかつて存在した明代から民国初年にかけて、現在の陝西省漢中市一帯に設置された。

概要

1370年洪武3年)、明により興元路が漢中府と改められた。漢中府は陝西省に属し、直属の南鄭褒城城固西郷の7県と寧羌州に属する略陽県、合わせて1州8県を管轄した[1]

のとき、漢中府は陝西省に属し、南鄭・褒城・城固・洋・西郷・鳳・沔・略陽・寧羌州・仏坪庁定遠庁留壩庁の3庁1州8県を管轄した[2]

1913年中華民国により漢中府は廃止された。

脚注

  1. ^ 明史』地理志三
  2. ^ 清史稿』地理志十