清水吾一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。いいすく (会話 | 投稿記録) による 2020年3月12日 (木) 01:24個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

清水 吾一(しみず ごいち、天保8年(1837年) - 明治5年5月27日1872年7月2日))は、壬生浪士組の同士。 五一とも書く。根岸友山は母方の伯父に当たる。

武蔵国埼玉郡羽生村(現在の埼玉県羽生市)の酒造業・清水弥右衛門の五男として生まれる。

文久3年(1863年)2月、浪士組に入隊。3月、根岸らと京都に残留。 同月下旬に根岸、遠藤丈庵らと共に江戸に戻り、新徴組に参加。 新徴組預りの庄内藩の帰国に妻子と共に随行し、戊辰戦争に参戦。 明治5年(1872年)、36歳で病死。