淘宮術

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淘宮術(とうきゅうじゅつ)は、開運修行の法のひとつである。天源術から出たもの。

歴史

横山丸三

淘宮術はもともと、人が天から稟(う)けた気の本源にさかのぼり、その運気、命数を究明するとした、天海が唱え始めた「天源術」から出た。 天保5年、横山丸三(よこやま まるみつ)が幹枝学に五行説を応用して、これに天源術の観理的な究明を与え、「開運淘宮術」を唱え始めた。 横山は、天源学者である奥野南卜から蘊奥を得て、もしも人生が天源術のいうようなものであるならば、人は受けたもののみのままで、なんら変化なく、向上発展は望みがたい、むしろすすんで精神修養によって本心の良知良能を発揮して運命を回復する理を尽くすべきであるとした。 すなわち気質変化の工風を発明し、みずから熱心に研究修行し、ついに実験的開運術を認め、天源術応用の開運淘宮術をひろめるに至った。

江戸幕府はこれを異教を説くものであるとして嘉永元年禁じたが、その術を信じる者は秘を守って相伝した。明治以後その禁がとけ、その術者を称する者が輩出し、一般神道と同一の扱いを受けた。

内容

もっぱら人の生年月日の十干十二支の配合によって宿命的な判断をおこない、開運を旨とする。干は気すなわち性を支配し、支は形すなわち質を支配するとし、陰陽五行説に準拠してすべて気候状態から敷衍して人の性質、運気などに配当して判断する。すなわち甲乙は春、丙丁は夏、戊己は土用、庚辛は秋、壬癸は冬とし、さらにこれを五行説に準拠させて木、火、土、金、水の各性に配する。さらに十二支は子の年月日に生まれた者は滋宮・吝星、丑は結宮・沈星、寅は演宮・猛星、卯は豊宮・秦星、辰は奮星・発星、巳は止宮・怨星、午は合宮・陽星、未は老宮・美星、申は緩宮・冠星、酉は堕宮・智星、戌は煉宮・義星、亥は実宮・晋星と号し、これを十二宮、十二星とする。宮は本心が宿る宮の意であり、人はその生年月日に配当された十二支に応じてそれぞれ悪癖があり、それを淘汰して運命を開き、幸福を受けさせる。

十二宮のうち

  • 滋の性はものを吝み、恥多いが福禄がある。
  • 結の性は保守的、頑固で福禄が薄い。
  • 演の性はタケを割ったように勇ましく威がある。
  • 豊の性は愛嬌が多く、豊かに。
  • 奮の性は怒気が強く、自省しがたい。
  • 止の性は妬心が深く、気位が高い。
  • 合の性は華美を好み、漂浪の変きわまりない。
  • 老の性は思慮深く迷う潔癖がある。
  • 緩の性は世話事を好み、辛苦が絶えず、争いを好む。
  • 堕の性は陰謀があり、大なることを好む。
  • 煉の性は堪忍が強く、怒気を内に含む。
  • 実の性は正直であるが驀進的で失敗のおそれがある。

このように十二宮はその特性に欠けるところもある。その性を稟けるのは、第一に受胎の年に気を稟け、受胎の月に気を稟け、受胎の日にも稟ける。人は受胎の日から264日を経て誕生するとされ、逆算してその日を知る。月、年は陰暦で知る。陰暦1月を寅とする。これら天授の運命をみずから知って臨機応変に本心の良知良能を発揮することを修行する。

外部リンク