泉陣屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。アクメイーク (会話 | 投稿記録) による 2018年7月27日 (金) 23:58個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎遺構: cat)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

泉陣屋(いずみじんや)は、福島県いわき市泉町(陸奥国菊多郡)にあった陣屋で、泉藩の藩庁である。

概要

寛永11年(1634年)、平城内藤政長が死去し、忠興が跡を継いだ際、弟政晴に2万石分知した。

次の代の政親寛文8年(1668年)、釜戸、藤原川の合流する地点である泉に陣屋を築いた。元禄15年(1702年)、政森の時に移封となった。

板倉重同上野国安中藩より1万5千石で入封した。しかし延享2年(1745年)、次の代の勝清は安中に再度転封となり、遠江国相良藩から本多忠如が入封した。以降本多氏7代が続き、明治維新を迎えた。戊辰戦争新政府軍の攻撃を受け落城、明治4年(1871年)には建物が払い下げ取り壊された。

歴代藩主は泉藩の場合、幕政に参画し、若年寄寺社奉行を務めている者が多い。

遺構

陣屋跡は土塁がわずかに残り、公園となっている。なお、陣屋裏門が泉町の民家に移築現存している。