江差追分事件

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最高裁判所判例
事件名 損害賠償等請求事件
事件番号 平成11年(受)第922号
2001年(平成13年)6月28日
判例集 民集55巻4号837頁
裁判要旨
テレビ番組の構成に際して、翻案に当たらないとした事例
第一小法廷
裁判長 井嶋一友  
陪席裁判官 藤井正雄 大出峻郎 町田顯 深澤武久 
意見
多数意見 全員一致 
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
著作権法27条など
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江差追分事件(えさしおいわけじけん)とは、著作権のひとつである翻案権の侵害有無が争われた民事訴訟事件である。2001年(平成13年)6月28日の最高裁判所判決(平成11(受)922)は、翻案権侵害の具体的判断手法を示したことで知られている。

事件の概要

江差追分に関するノンフィクションである「北の波濤に唄う」と題する書籍の著作者である原告が、「ほっかいどうスペシャル・遥かなるユーラシアの歌声-江差追分のルーツを求めて」というテレビ番組のプロローグが本件書籍を翻案したものであるとし番組を制作放映したNHK(被告)らを相手取って、損害賠償を請求した事件である。

そして本件番組も本件書籍を参考物として制作されたものであったが、ここで問題となったのは江差追分全国大会が1年の絶頂であるという本件書籍の記述についてのものであったが、江差町においては8月に行われる姥神神社の夏祭りを、町全体が最もにぎわう行事としてとらえるのが一般的な考え方であって、江差追分全国大会は、毎年開催される重要な行事ではあるが、町全体がにぎわうというわけではなかった。しかし、本件番組において、プロローグにおいて 「その江差が、九月の二日間だけ、とつぜん幻のようにはなやかな一年の絶頂を迎える。日本じゅうの追分自慢を一堂に集めて、江差追分全国大会が開かれるのだ。」というナレーションがなされたことから、原告が翻案権の侵害を主張したものである。

第一審の東京地方裁判所、及び控訴審における東京高等裁判所は、概略次のように判示し、原告の請求を認めた[1]。すなわち、現在の江差町が最もにぎわうのは、8月の姥神神社の夏祭りであることが江差町においては一般的な考え方であり、これが江差追分全国大会の時であるとするのは、江差町民の一般的な考え方とは異なるもので、江差追分に対する特別の情熱を持つ被上告人(原告)に特有の認識である。本件ナレーションは、本件プロローグの骨子を同じ順序で記述し、表現内容が共通しているだけでなく、1年で一番にぎわう行事についての表現が一般的な認識とは異なるにもかかわらず本件プロローグと共通するものであり、また、外面的な表現形式においてもほぼ類似の表現となっているところが多いから、本件プロローグにおける表現形式上の本質的な特徴を直接感得することができる。したがって、本件ナレーションは、本件プロローグを翻案したものといえるから、本件番組の製作および放送は、被上告人の本件著作物についての翻案権、放送権及び氏名表示権を侵害するものである。

これに対しNHKらが上告したのが本件である。

最高裁の判断

全員一致。破棄自判(原告敗訴)。

まず、最高裁は「言語の著作物の翻案」について、「既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為」をさすとした上で、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない」と判断した。

その上で、判決は、本件ナレーションが本件プロローグと同一性を有する部分のうち、江差町がかつてニシン漁で栄え、そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと、現在ではニシンが去ってその面影はないことは、一般的知見に属し、江差町の紹介としてありふれた事実であって、表現それ自体ではない部分において同一性が認められるにすぎない。また、現在の江差町が最もにぎわうのが江差追分全国大会の時であるとすることが江差町民の一般的な考え方とは異なるもので被上告人に特有の認識ないしアイデアであるとしても、その認識自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず、これと同じ認識を表明することが著作権法上禁止されるいわれはなく、本件ナレーションにおいて、上告人らが被上告人の認識と同じ認識の上に立って、江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ、年に1度、かつてのにぎわいを取り戻し、町は一気に活気づくと表現したことにより、本件プロローグと表現それ自体でない部分において同一性が認められることになったにすぎず、具体的な表現においても両者は異なったものとなっている。さらに、本件ナレーションの運び方は、本件プロローグの骨格を成す事項の記述順序と同一ではあるが、その記述順序自体は独創的なものとはいい難く、表現上の創作性が認められない部分において同一性を有するにすぎない。しかも、上記各部分から構成される本件ナレーション全体をみても、その量は本件プロローグに比べて格段に短く、上告人らが創作した影像を背景として放送されたのであるから、これに接する者が本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきである。

したがって、本件ナレーションは、本件著作物に依拠して創作されたものであるが、本件プロローグと同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって、本件ナレーションの表現から本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないから、本件プロローグを翻案したものとはいえないと判断して、原告の請求を棄却した。

講釈

本判決に関する講釈は、『平成13年度主要民事判例解説(判例タイムズ臨時増刊1096号)』[2]、『平成13年度重要判例解説(ジュリスト臨時増刊1224号)』[3]など、多数公刊されている。

脚注・参考文献

  1. ^ 斉藤博半田正夫編「著作権判例百選(第三版)」(有斐閣、2001年)、148~149頁、ISBN 4-641-11457-9。判決全文は#外部リンク等を参照。
  2. ^ 石村智、(判例タイムズ社、2002)、150~151頁、
  3. ^ 蘆立順美、「翻案権侵害における類似性の判断」(有斐閣、2002)292~294頁、ISBN 4-641-11576-1

関連項目

外部リンク