永見林三郎

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永見 林三郎(ながみ りんざぶろう、1852年3月5日嘉永5年2月15日) - 1924年大正13年)4月2日)は、日本政治家中浜村長(第3代)、中浜村会議員。第6代中浜村長永見勘太郎の父。

経歴[編集]

小篠津村(のち鳥取県境港市小篠津町)の永見家は林三郎の父清四郎が初代で、四国から藍玉を仕入れる仕事を始めるとともに、自家も紺屋を営んで一代で財を成したといわれる。

林三郎は日露戦争後の村政を担い、農業補習学校の開校や、財ノ木への尋常小学校移転を果たし、高等科を開設する等本村教育の拡充に貢献した。また、婦人会や青年会を組織して旧弊の打破を目指した。

1908年明治41年)に発生した中海海難事故に際しては、広く義援金を募って遺族の救済に当った。

参考文献[編集]

  • 『境港市史 上巻』1986年(昭和61年) 556頁

外部リンク[編集]