椚田遺跡

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座標: 北緯35度38分11秒 東経139度18分31秒 / 北緯35.63639度 東経139.30861度 / 35.63639; 139.30861

椚田遺跡の位置(東京都内)
椚田遺跡
椚田遺跡
位置

椚田遺跡(くぬぎたいせき)は、東京都八王子市椚田町にある縄文時代遺跡[1]。1978年5月1日、国の史跡に指定された。

概要

東京都をほぼ西から東へ貫流する多摩川の右岸には、関東山地から派生した多摩丘陵が約40キロに亘って海岸部にまでのびているが、北部の山地よりには広い平坦面を呈す丘陵が幾つか発達している。八王子盆地の南を囲む小比企丘陵もその一つで、本遺跡はその支脈上に所在する[2]

昭和50年、発掘調査が実施され、遺跡の全面に3枚の生活面が確認された。最上位面は古墳時代の集落であり、中位面は縄文時代中期末葉、最下位面は縄文時代中期中葉に属する集落である。古墳時代の遺構は竪穴住居跡の数や遺物の発見量も少なく、小規模なものと考えられるが、縄文時代中期の集落跡は本遺跡の中心的な内容をもつ重要なものとして注目される[2]

発掘調査範囲は遺跡の約6分の1に相当するが、縄文時代中期中葉の竪穴住居跡45が発見されており、全体では270以上の存在が予想されるところである。それらの住居跡は径約150メートルの環状に展開する典型的な集落形態を示すものであり、環状の内側には多数の土壙群が構築されている[2]。このように内側に土壙群をもつ集落跡は極めて例が少なく、内側が空地の広場をなす一般の集落跡に対して、より広範な地域圏内における中心的な性格を帯びた集落とも考えられ、当時の集落相互の関係ひいては縄文時代の社会を解明する上で重要である[2]。なお、中期末葉の柄鏡形敷石住居跡3及び配石遺構、埋甕などが集落の下限を示し、中期中葉以来長期に亘って集落が営まれたものであることがわかる。さらに、この間に製作使用された土器・石器類は種類も多く膨大な量に上っており、学術的価値の高いものである[2]

椚田遺跡公園

現在、椚田遺跡は「椚田遺跡公園」として整備されている[3]。東京都八王子市椚田町541に所在[4]JR中央本線西八王子駅もしくは京王線めじろ台駅から、京王バスで「椚田北」から下車、徒歩約5分でアクセス可能。

脚注

  1. ^ 椚田遺跡』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 文化庁 (一部改変あり)
  3. ^ 椚田遺跡公園 - 八王子市
  4. ^ 椚田遺跡公園について - 八王子市

外部リンク