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東郷 八郎左衛門(とうごう はちろうざえもん、1856年4月23日 - 1920年2月19日)[1]は、鹿児島士族[2]である東郷次郎八の長男。
安政3年4月23日生。
明治8年、陸軍幼年学校に入学。
明治29年、台湾守備歩兵大隊長。
日露役時(明治38年4月17日)、歩兵第五十五聯隊長。
明治38年4月19日、陸軍歩兵大佐。
明治42年11月30日、陸軍少将。歩兵第31旅団長。
大正2年8月22日、予備役。
大正9年2月19日、死去。
栄典
- 叙位
- 勲章
家族・親族
妻フミは元治元年2月生、鹿児島士族椎原孝助三女。
嗣子は東郷辰男。明治25年1月生。
女とよ、明治27年4月生。
四女の花、明治29年7月生。
五女のヒテ、明治33年9月生。
脚注
- ^ “大正過去帳”. 国立国会図書館. 2019年2月22日閲覧。
- ^ “下加冶屋町の住宅地図”. 珊瑚樹記念堂. 2019年2月22日閲覧。
- ^ 『官報』第31号「叙任」1883年8月6日。
- ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
- ^ 『官報』第7998号「叙任及辞令」1910年2月23日。
- ^ 『官報』第3131号「叙任及辞令」1893年12月5日。
- ^ 『官報』第5046号「叙任及辞令」1900年5月1日。