東田代村

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東田代村は、群馬県にあった村。1872年廃村。東田代新田(ひがしたしろ しんでん)とも言われる。現在の群馬県利根郡片品村東小川内にあった。

略史[編集]

1608年(慶長13)開村~1872年(明治4)廃村

概要[編集]

慶長13年、外様大名である真田信之によって開村。表向きは、徳川幕府の前に、石高を高めるための積極開墾策だった。開墾者のリーダーは、大塚与惣衛門、沼田藩の中堅武士だった。地元近郊の農民の協力を得て、すばやい開村となった。

その後、東田代村は、頼みの沼田藩の改易に遭遇しながらも、存続し、明治の初めの廃村まで約260年間続いた。そこには厳しい環境に打ち勝つ逞しい村人たちが根づき、言うに言えない人生のバトンタッチを繰り広げた。

参考資料[編集]

片品村史編纂委員会『片品村史』(片品村役場、1963年)、 生方たつゑ『真田窓のある家』(角川書店、1983年7月) 菅沼ものがたり編集委員会『菅沼ものがたり』(第一法規出版、1990年3月) 沼田文学の会『小説東田代村』(沼田文学第11号、2005年5月)、 尾瀬三ヶ峰高原の会『尾瀬三ヶ峰高原の会郷土学報告書』(日本財団、2006年4月)