李璟

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元宗 李璟
南唐
2皇帝
王朝 南唐
在位期間 943年 - 961年
姓・諱 李璟、李景
伯玉
諡号 明道崇徳文宣孝皇帝
廟号 元宗
生年 915年
没年 961年
(長男)
陵墓 永陵
年号 保大943年 - 957年
中興958年
交泰958年
顕徳958年 - 960年
建隆960年 - 961年

李 璟(り けい)は、十国南唐の第2代皇帝。初名は徐 景通であったが、南唐建国後に李璟と改名し、さらに後周の臣下を称したあと後周の信祖・郭璟(太祖・郭威の高祖父)のを避けて李景と再改名した。

957年に後周の軍が南唐に侵入、南唐の領域であった淮南を占拠し、さらに長江一帯に迫ると、李璟は後周の世宗である柴栄に使者を送り、自ら臣下と称して帝号を廃止、国主を自称し後周の年号を用いた。

李璟は政治面よりも文化面で名を残しており、や書に優れ、特に「小楼吹徹玉笙寒」は不朽の名句であり、次代の李煜の作品とともに『南唐二主詞』に収録されている。961年に47歳で病死した。

宗室

年号

先代
南唐皇帝・国主
第2代:943年 - 961年
次代
李煜