星川麻呂

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星川 麻呂(ほしかわ の まろ[1]、生年不明 - 天武天皇9年5月27日680年6月29日))は、日本の飛鳥時代の人物である。冠位小錦中大紫壬申の乱の大海人皇子(天武天皇)側功臣。

出自

星川氏(星川臣)は波多氏(波多臣)の一族で[2]大和国山辺郡星川郷を発祥とする[3]

経歴

星川麻呂については、『日本書紀』の天武天皇9年5月27日に、小錦中星川臣麻呂が死に、壬申の年の功によって大紫の位を贈られたことが見える。大紫は壬申の功臣の中でも高い位だが、書紀の壬申の乱のくだりに星川麻呂の名は見えないので、どのような活躍をしたかは不明である。

霊亀2年(716年)4月8日に、子の星川黒麻呂が父の功によって田を与えられた。天平宝字元年(757年)12月9日に、太政官は星川麻呂の功田4町の扱いを定めるために彼の功績を論じて中功とし、2世に伝えると定めた。

脚注

  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「ほしかはのまろ」。
  2. ^ 古事記孝元天皇
  3. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年(昭和39年)