携挙

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携挙(けいきょ、英語:Rapture)とは、プロテスタントにおけるキリスト教終末論で、未来の主イエス・キリスト再臨において起こると信じられていることである。まず神のすべての聖徒の霊が、復活の体を与えられ、霊と体が結び合わされ、最初のよみがえりを経験し、主と会う。次に地上にあるすべての真のクリスチャンが空中で主と会い、不死の体を与えられ、体のよみがえりを経験する。

聖書箇所

聖書箇所は以下である。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

— テサロニケの信徒への手紙一 4:16-17、新改訳聖書[1]

患難前携挙説

1.患難前携挙説 2.患難中携挙説 3.患難後携挙説

携挙を強調する教派の多くは患難前携挙説の立場をとる。レフトビハインドはこの患難前携挙説の小説である。これはキリスト教根本主義の説とされ、初期の神学的根本主義において患難前携挙説は必ずしも一般的な主張ではなかったであろうとも言われている 。しかし、紀元3世紀頃までは前千年王国説が最も広く受けいれられていたのと同時に、患難前に信者が「取り去られる」という思想として、患難前携挙の概念が一般的であったとも考えられている [2]。しかし、その後、無千年王国説の台頭とともに、強調されなくなっていたが、19世紀以降のディスペンセーション主義の台頭によって広まったともいわれている[3]

近年における教理の強調は前千年王国説、特にディスペンセーショナリズムの聖書解釈によって、1830年代と1970年代に広まった。代表的な提唱者はジョン・ネルスン・ダービハル・リンゼイグラント・ジェフリー高木慶太である。この教理の主張者自身は前述のように初代教会教父新約聖書に根拠があるとする。

携挙の時期

患難時代が7年間かそれとも3年半とするか等、携挙説の提唱者の間でも多くの意見の相違がある。少数がマタイによる福音書24章の患難が紀元70年エルサレム破壊においてすでに起こったとする。だが3つの立場が携挙説において代表的である。それは携挙の時期を患難時代前、患難時代中、患難時代後に、それぞれおくものである。その時イエス・キリストは神の国を確立し、千年の間支配を行うとされる。

携挙の語

携挙は患難前携挙の文脈で語られることが多いが、患難前携挙説を採らない教派でも、携挙の語を使用することがある[4][5]

脚注

  1. ^ 第一テサロニケ4章16-17節『新改訳聖書』、新約聖書刊行会、1965年
  2. ^ Grant R. JeffreyTriumphant Return: The Coming Kingdom of God WATERBROOK PR
  3. ^ 岡山英雄『子羊の王国』いのちのことば社
  4. ^ ウィリアム・ヘンドリクセン『死後と終末』つのぶえ社 鈴木英昭訳
  5. ^ ローレン・ベットナー『不死』新教出版社

関連項目