手鎖

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手鎖(川越歴史博物館蔵)

手鎖 (てじょう[1][2][注 1])は、江戸時代刑罰。前に組んだ両手に瓢箪型の鉄製手錠をかけ、一定期間自宅で謹慎させる。主に牢に収容する程ではない軽微な犯罪や未決囚に対して行われた。戯作者山東京伝が1791年に、浮世絵師喜多川歌麿が1804年にそれぞれ五十日手鎖の刑を受けたことで有名である。

概要[編集]

江戸幕府の法令では罪の軽重によって、三十日、五十日、百日手鎖の3種類があった(過怠手鎖)。三十日、五十日手錠は五日目ごと、百日手錠は隔日で同心が来て錠改めを行った。予め手鎖の中央のくびれ部分に付けていた封印を確認し、無断で錠を外した事が発覚した場合には現在の罪より一段階重い罪が科せられた。また、過料とは相互に代替が可能であり、両方併科のケースもあった。

刑事罰以外でも金公事で敗訴した者が判決に従わない場合に督促の手段として手鎖を嵌められる例や、罪状が重くなく逃亡の可能性が低い未決囚が判決が出されるまでの間に公事宿町役人村役人の屋敷にて軟禁された際にも用いられた(吟味中手鎖)。執行期間中は日常生活全てに支障をきたした。

明治以後は刑事罰としての手鎖は廃止され、専ら民間の懲戒用の道具として手鎖が用いられた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 江戸時代には「てじょう」と呼ばれていたが、1972年に井上ひさしが小説『手鎖心中』を「てぐさり-」と読ませたことから、「てぐさり」の読みが一般に広まった[3]

出典[編集]

  1. ^ 手鎖(てじょう)とは”. コトバンク. 2020年6月11日閲覧。
  2. ^ 石井良助『江戸の刑罰』中央公論新社 <中公新書>、1964年、83頁。ISBN 4-12-100031-5 
  3. ^ 棚橋正博. “手鎖は「てじょう」と読む!”. Web日本語. 小学館. 2020年11月8日閲覧。

関連項目[編集]