惟宗広言
時代 | 平安時代後期 - 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 天承2年(1132年) |
死没 | 文治5年3月11日(1189年3月29日) |
官位 | 従五位下、筑後守 |
主君 | 崇徳天皇 → 近衛天皇 → 後白河天皇 → 二条天皇 → 六条天皇 → 高倉天皇 → 安徳天皇 → 後鳥羽天皇・後白河法皇 |
氏族 | 惟宗朝臣 |
父母 | 父:惟宗基言、母:素性不詳 |
妻 | 藤原遠宗の娘 |
子 | 惟宗忠久(島津忠久)?、惟宗忠季(津々見忠季)? |
惟宗 広言(これむね の ひろこと)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての歌人・官人。日向守・惟宗基言の子。
経歴
文章生を経て大宰少監・式部丞を歴任し、久寿2年(1155年)正六位上、永暦元年(1160年)従五位下に叙される。文治2年(1186年)筑後守。
歌人として私撰集に『言葉集』、家集に『惟宗広言集』がある。『千載和歌集』に5首と『玉葉和歌集』に1首が採録されている[1]。また、今様の名人として後白河法皇に親しく仕えた。
系譜
- 父:惟宗基言
- 母:素性不詳
- 妻:藤原遠宗の娘
- 男子:惟宗忠久(島津忠久) (? - 1227年) - 薩摩島津氏祖。
- 男子:惟宗忠季(津々見忠季) (? - 1221年) - 若狭島津氏祖。
島津氏に伝わる公式書類ではその祖とされている。妻は比企能員妹(丹後内侍)とされるが、島津氏の史料にしか出てこない話であり疑問もある。子に島津氏の祖である惟宗忠久がいる。実子説と養子説があるが、通字の問題などから実子説については近年疑問視する説が有力である。
広言までの系図 惟宗具範 ― 惟宗広考 ― 惟宗貴重 ― 惟宗考近 ― 惟宗基言 ― 惟宗広言 ― 惟宗忠久
参考文献
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、1986年) ※ 系譜セクションの出典