悋気の火の玉

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悋気の火の玉(りんきのひのたま)は古典落語の演目の一つ。

概要[編集]

原話は、天保3年(1833年)に出版された桜川慈悲成笑話本『延命養談数』の一編「火の玉」。安永ごろ、吉原遊廓の上総屋の主・逸磨の妻と妾の間に起きた騒動が、この物語の源泉だといわれている。

嫉妬」の感情を、苦笑とともに認めて、なおかつ茶化す落語。

あらすじ[編集]

浅草花川戸の鼻緒問屋・立花屋の主は名代の堅物だったが、仲間の寄り合いで吉原に行くうち、すっかりはまり込んでしまった。主は、毎日のように遊びに行くようになってしまう。支払いが大変なので、馴染みとなった花魁を身請けして、根岸に妾宅を造って住まわせることにした。

主は月の内、本宅に二十日、妾宅に十日止まるようになる。妾ができたことを知った本宅の妻はふてくされる。

「お茶を入れてくれないかな?」「お茶? あたしの入れたお茶じゃ、おいしくないでしょ」

この調子に嫌気が差した主は、妾宅に二十日、本宅に十日泊まるようになってしまう。そうなると妻は激怒する。女中に五寸釘を買ってこさせ、神社の杉の木に藁人形を打ち付け始めた(丑の刻参り)。この噂が根岸の妾の耳に入ると、

「生意気じゃないか! あたしが旦那に来てもらってる訳じゃないんだよ。旦那の方があたしに惚れてるんだ!」

妾は妻より一寸長い六寸釘で呪い出した。こうなると競争になってしまい、七寸、八寸、九寸……。

それぞれの呪いが成就したのか、同じ日の同じ時刻に本宅の妻も根岸の妾も急死。主は一遍に二つも葬式を出すことになってしまった。その後、以下のような噂が、立花屋の周辺でささやかれるようになった。

「毎晩、立花屋の蔵から陰火が上がり、根岸の方へと飛んでいく。一方、根岸の方からも陰火が上がり、花川戸へ。二つの火の玉は大音寺でガチーン」

怖くなり、商売にも差しつかえると考えた主は、谷中の木蓮寺で和尚をしている主の伯父にお経をあげてもらい、陰火を成仏させてもらうことに決めるが、ある朝やってきた和尚が、主に次のように提案した。

「あの陰火は、そもそもお前さんを挟んでの悋気(嫉妬)から生まれたものだ。だからそれを消すには、お前さんが飛んできた両方を優しくなぐさめて、そのあとからお経をあげれば成仏すると思うんだが」

九つの鐘(深夜0時ごろ)を合図に、主と和尚は大音寺へとやって来た。主はキセルタバコが吸いたくなるが、火打石を忘れた。和尚は火を持っていない。我慢しながら切り株に腰かけて待っていると、根岸から陰火が上がり、こちらに向かってフワフワフワフワ……。

「あれがお妾さんの火の玉だ」「なるほど、おい! おい!」

主が声をかけると、陰火はスーッと寄ってきて、主の前でピタリと止まった。主はおそるおそる話しかけてみる。

「待ってましたよ。出てくるお前さんの気持ちもわかるが、困るんだ……そうだ、お前の火でタバコを」

着火したタバコをふかしながら妾の陰火を説得していると、花川戸の本宅から陰火が上がり、こちらへ向かってものすごい勢いでビューッ!!

「あれが奥さんの陰火だな」「凄い……よく来た。お前さんに、ぜひ謝りたいと思っていたんだよ。でも、その前にもう一服……」

主が妻の陰火にキセルの先を近づけると、スッと避けて、

「フン、あたしの火じゃ、おいしくないでしょ」

バリエーション[編集]

音源の残る主な演者に、8代目桂文楽5代目三遊亭圓楽などがいる。

  • 8代目文楽は3代目三遊亭圓馬に稽古を付けてもらった。また「妾は、男を少しでも若く見せようと男の白髪を抜き、本妻は、少しでも夫に貫禄をつけようとその男の黒い毛を抜く。二人の間を行き来するうち、主はすっかり丸坊主になった」という内容のマクラを用いて、妻と妾の嫉妬の違いを説明した。室町期の説話集『三国伝記』内の中国の「抜髪男事」の翻案である。
  • 5代目圓楽は8代目文楽が演じていたものを「いつ聴いても寸分違わないし、のべつまくなしやっていたので(寄席の)楽屋で聴いているだけで覚えてしまった」のだという。(出典:5代目三遊亭圓楽『圓楽 芸談 しゃれ噺』(白夜書房、2006年)、P118)