徳永里朝

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徳永 里朝(とくなが りちょう、1855年2月26日安政2年1月10日[1] - 1936年昭和11年)7月15日)は寄席芸人音曲師。本名は中井 徳太郎

徳永とくなが 里朝りちょう
本名 中井 徳太郎
別名 徳永 徳寿
生年月日 1855年2月26日
没年月日 (1936-07-15) 1936年7月15日(81歳没)
師匠 3代目春風亭柳枝
3代目哥沢芝金
活動内容 寄席芸人
音曲師
所属 桂派
柳派

大坂[1]または京都[2]の生まれ、幼少期に盲人になり、津山検校らに師事し琴や三味線を習得し検校になる[1]。以降検校や音曲の師匠で生計を立てていた、明治維新後の盲官制度の廃止以降は明治10年代から徳永里朝の名で三味線を使った櫓太鼓琴弾き、曲弾きの寄席芸人として上方桂派の寄席に出演。1889年に上京し3代目春風亭柳枝一門に加わり柳派の寄席に出演、縁かいな節で人気を博す。一時うた沢節のうた沢芝派3代目哥沢芝金の門下で哥沢芝朝斎を名乗ったこともある。明治30年代後半に廃業し「徳永 徳寿」の名で琴三味線で師匠として生計を立てていた。

SPレコードが残されておりその芸をしのぶことが出来る。

脚注[編集]

  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus『徳永徳寿』 - コトバンク
  2. ^ ご存じ 古今東西噺家紳士録