御槙村
みまきむら 御槙村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 岩松町・御槙村・清満村・北灘村・畑地村・下灘村 → 津島町 |
現在の自治体 | 宇和島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 北宇和郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
御槙村役場 | |
所在地 | 愛媛県北宇和郡御槙村大字御内 |
座標 | 北緯33度05分55秒 東経132度37分35秒 / 北緯33.09869度 東経132.62647度座標: 北緯33度05分55秒 東経132度37分35秒 / 北緯33.09869度 東経132.62647度 |
ウィキプロジェクト |
御槙村(みまきむら)は、1899年(明治32年)に清満村からの分立によって成立し、1955年(昭和30年)まで存在した村であり、愛媛県北宇和郡、現在の宇和島市の南東の山村である。
昭和の合併で津島町に、さらに平成の合併で宇和島市となり、現在に至っている。
地理[編集]
現在の宇和島市の南部。御内と槙川の二つの地区からなり、松田川の支流である御内川、加塚川及び元越川の流域の山村。御内地区は、御槙盆地と呼ばれる標高約270メートルの小規模な盆地を形成し、周囲は森林に囲まれている。御内川と元越川は犬除で合流し、松田川は高知県に流れ込み宿毛湾に注ぐ。西の清満村とは横吹渓谷で境をなす。
槙川は篠山への登山口に位置する。
- 地名の由来
- 御内と槙川から、それぞれ一字ずつ取ったもの。
歴史[編集]
藩政期
- 宇和島藩領。
明治以降
御槙村成立後
- 1899年(明治32年) 7月1日 - 清満村から分離して御槙村成立。
- 当村の地域が清満村の中心から距離があり、一自治体としての運営に不便をきたしていたためとされる。
- 1955年(昭和30年) 2月11日 - 岩松町・清満村・北灘村・畑地村・下灘村との1町5村の合併で津島町となり、自治体としての歴史を閉じた。
御槙村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 増穂 ━━━━┓ 山財 ━━━━┫ 分立 岩淵 ━━━━┫ 明治32年7月1日 御内 ━━━━╋━━━清満村━━━━┳━━━━━━┓ 槙川 ━━━━┛ ┗御槙村━━━┫ ┃昭和30年2月11日 ┃合併 岩松町━━━╋━津島町━━━━━┓ 北灘村━━━┫ ┃合併 畑地村━━━┫ ┃平成17年8月1日 下灘村━━━┛ ┣宇和島市(新) 宇和島市━━━━┫ 吉田町━━━━━┫ 三間町━━━━━┛ (注記)岩松町その他の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
地域[編集]
分立時の村である御内、槙川の2箇村がそのまま大字となり、津島町となってからも続いた。
行政[編集]
- 役場
- 大字御内に置かれていた。
産業[編集]
- 農林業
- 米、甘藷いも、しいたけ、薪、木炭、繭などを産する。
交通[編集]
当村には鉄道は通っていない。
名所[編集]
- 祓川冷泉