弓削豊穂

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弓削 豊穂(ゆげ の とよほ、生没年不詳)は、日本の古墳時代の人物。雄略天皇の命を受け、神事を汚して逃げた凡河内香賜を殺した。

概要[編集]

弓削氏は弓の製作にあたった弓削部を管掌した伴造の一族で、豊穂は史書に現われる弓削氏最古の人物である。

雄略天皇9年(465年雄略天皇胸形神宗像神社の神)を祀るために凡河内香賜采女を遣わした。しかるに神事の前に香賜が采女を犯したので、天皇が難波日鷹を遣わして誅殺しようとしたところ、香賜は逃げて行方を眩ました。そこで、捜索に派遣された弓削豊穂は国内の県を探し回った後、三島郡の藍原(現在の大阪府茨木市安威)で香賜を捕らえて斬り殺した[1]

参考文献[編集]

  1. ^ 『日本書紀』雄略天皇9年2月1日条

参考文献[編集]

関連項目[編集]