廃帝 (陳)
廃帝 陳伯宗 | |
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陳 | |
第3皇帝 | |
王朝 | 陳 |
在位期間 | 566年 - 568年 |
都城 | 建康 |
姓・諱 | 陳伯宗 |
字 | 奉業 |
小字 | 薬王 |
生年 | 554年 |
没年 | 570年 |
父 | 文帝 |
母 | 沈妙容(文皇后) |
后妃 | 王皇后 |
年号 |
天康:566年 光大:567年 - 568年 |
廃帝(はいてい)は、南朝陳の第3代皇帝。姓は陳、諱は伯宗。文帝の長男。
554年5月に生まれた。558年2月、臨川王世子に立てられた。559年6月に文帝が即位すると、8月(一説に9月)に皇太子に立てられた。侯景の乱のときに建康の東宮は焼尽していたため、永福省に居住した。
566年4月、文帝が死去すると、太極前殿で皇帝位についた。13歳の若年で即位したため、文帝の遺言で叔父である安成王陳頊(後の宣帝)が後見することになった。このため、伯宗自身には何ら実権がなく、傀儡同然であった。568年11月、陳頊によって廃位されて臨海王とされた。570年4月、殺害された。
妻子
后妃
子
- 臨海嗣王陳至沢