川勝広典

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川勝広典
時代 江戸時代中期
生誕 享保5年(1720年
死没 安永9年4月28日1780年5月31日
別名 勘三郎、主殿、勘左衛門(通称)
戒名 泰實(法名)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家重家治
氏族 川勝氏
父母 父:川勝広達、母:川勝隆成の娘
兄弟 広典、女子、女子
正室:伴栄宣の娘
広克(婿養子。片桐友晴の二男)、
養女(川勝広達の娘、広克室)、女子
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川勝 広典(かわかつ ひろよし)は、江戸時代中期の旗本。知氏系重氏流川勝家の6代当主。

生涯[編集]

享保5年(1720年)、川勝広達の嫡男として江戸に生まれた。寛延3年(1750年)12月20日、書院番となった。宝暦5年(1755年)11月7日、父広達の死去により家督(下野常陸内700石)を継いだ。

安永5年(1776年)4月、将軍徳川家治日光社参に供奉した。

安永9年(1780年)4月28日、61歳で没した。家督は婿養子の広克が継いだ。


参考文献[編集]

  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年


先代
広達
川勝知氏系重氏流
6代:1755年 - 1780年
次代
広克