崇法院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Simasakon (会話 | 投稿記録) による 2013年8月3日 (土) 05:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Template:参照方法を貼付)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

崇法院(すうほういん、慶長7年(1602年) - 明暦2年9月17日1656年11月3日))は、熊本藩第2代藩主加藤忠広正室会津藩蒲生秀行の娘。母は徳川家康の三女・振姫。名は依姫。子に加藤光広がいる。

慶長18年(1613年2月15日に伯父である徳川秀忠の養女となり、翌慶長19年(1614年4月15日に加藤忠広に嫁いだ。

寛永9年(1632年)に夫が改易された際には、出羽国への配流には同行せず、以後は京都にて暮らした。

明暦2年(1656年)に死去した。享年55。京都の本圀寺に葬られた。

参考文献

  • 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)続群書所類聚刊行会