島津フミヨ

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島津 フミヨ(しまづ フミヨ、1902年11月9日 - 1967年12月31日)は、昭和期の日本の女性放射線医学者。弟に熊倉正弥

略歴

栃木県喜連川町出身。父熊倉弥五郎、母ソメの三女[1]姫路の島津愛之と結婚する[1]東京女子医学専門学校を卒業し、母校病院のレントゲン科に入局する。1942年4月に放射線医学教室の初代教授となる[2][3]1951年には、梯子式連続撮影装置の試作に成功し、心臓外科の発展に大きく貢献した[3]

脚注

  1. ^ a b 日本図書センター 1993, p. 529.
  2. ^ 20世紀日本人名事典. 島津 フミヨ. コトバンクより2022年3月18日閲覧
  3. ^ a b 沿革”. 東京女子医科専門病院. 2022年3月18日閲覧。(「島津フミヨ教授」の箇所を参照)

参考文献