岩本賢太郎

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岩本 賢太郎(いわもと けんたろう、1923年 - 2007年8月21日)は、日本実業家日本石油社長を務めた。

来歴

山口県下松市出身[要出典]。1951年に東京大学を卒業して、日本石油に入社した[1]

1977年より取締役勤労部長となり、1982年に常務を経て、1988年に社長に就任[1]。1992年まで務めた[1]。1974年から1976年まで、野球部の部長も経験している[2]

2007年8月21日、心不全により川崎市内の病院で死去[1]

脚注

  1. ^ a b c d “<訃報>岩本賢太郎氏(いわもと・けんたろう=元日本石油<現新日本石油>社長)”. (2007年9月7日). http://www.chem-t.com/cgi-bin/passFile/NCODE/22203 2019年9月18日閲覧。 
  2. ^ 新日本石油ENEOS野球部オフィシャルレポート2007 (PDF) - 新日本石油野球部(p.9を参照)