尾藤豊
尾藤 豊(びとう ゆたか、1926年3月30日 - 1998年8月26日)は、日本の洋画家。
戦争直後、前衛美術会に参加し、アバンギャルド運動に大きく関わる[1]。50年代、社会の問題を告発する「ルポジュタージュ絵画」の先駆けのひとりとなった[1]。60年代、シュルレアリスムのような絵画への移行が表れだ[2]。80年代以降、各美術館で戦後美術が回顧される企画展には、時代の証言として尾藤の作品がたびたび出品された[1]。
経歴
- 1926年、3月30日、東京赤羽に生まれ[3]
- 1942年、安田工業高等学校建築科卒業[4]
- 1943年、東京美術学校建築科入学[4]
- 1945年、学徒動員で江田島に向かい、航空図面などを作製する[4]
- 1946年、美術文化協会の脱退者を中心に前衛美術会結成[4]
- 1947年、東京美術学校建築家卒業[4]
- 1953年、青年美術家連合結成[4]
- 1955年、「グループフォール」結成[4]
- 1956~60年、「批評運動」発行[4]
- 1960年、革命的芸術家戦線結成[4]
- 1998年、8月26日、心不全で死去[1]