前少帝 (前漢)
少帝 劉恭 | |
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前漢 | |
3皇帝 | |
王朝 | 前漢 |
在位期間 | 前188年 - 前184年 |
都城 | 長安 |
姓・諱 | 劉恭 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前184年 |
父 | 恵帝 |
少帝 恭(しょうてい きょう)は前漢第3代皇帝(歴代皇帝に含まない場合もある)。一般に名は恭とされるが、『史記』『漢書』およびその注にその記録はなく、出所不明。
略伝
恵帝(劉盈)と後宮の女性との間に生まれた。恵帝崩御後、張皇后(魯元公主の娘)が嗣子をもうけていなかったため、劉恭が呂雉の支持を得て即位した。この際、張皇后の子であると公表するために、生母たる女官は殺害されたといわれる。
劉恭が成長してこの事実を知ると呂雉を恨むようになった。呂雉が劉恭の怨恨を知ると、後難を恐れた呂雉は劉恭を幽閉、重病であるとして廃位した。それから間もなく劉恭は殺害された。