孫匡

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孫 匡(そん きょう、生没年不詳)は、中国後漢末期の人、の皇族の一人。孫堅の4男。孫策孫権孫翊の弟。字は季佐。孫泰の父、孫秀の祖父、孫倹の曾祖父。

孫策の死後、孫権と曹操が同盟を結んだ事があるが、そのとき孫匡は、曹操の姪と結婚している。 官に任用される前に若くして亡くなった。 孫家四兄弟の中ではこれといったエピソードがなく地味な印象があるが、子孫たちは繁栄している。

洞口の戦い(222年)で失策を犯したため、指揮官の呂範を通じ兄の孫権からきつく咎められ、孫氏としての姓を剥奪された上牢に押し込められて、そこで死去したという説がある(『江表伝』)。しかし、『三国志』の注釈で裴松之によって年代が合わないことが指摘されており、孫朗のエピソードが混ざったのではないかと結論づけられている。