出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
孫 𩃙[1](そん こう[2]、? - 265年)は、中国三国時代の呉の皇族。字は𧟨[3](けん[4])。父は孫休。兄は孫𩅦。弟は孫壾・孫𠅨。
生涯
孫休の次男として生まれた[5]。
元興元年(264年)10月、孫晧は孫𩃙を汝南王に封じ、また、孫𩅦を豫章王、孫壾を梁王、孫𠅨を陳王に封じた[6]。
甘露元年(265年)7月、孫晧により景皇后[7]が殺されると、孫𩃙ら兄弟4人は呉の古城に移送しとじこめ、その後しばらくして、年長の孫𩃙と孫𩅦は殺害された[8]。
参考文献
脚注
- ^ 「雷」のしたに「大」
- ^ 音は「觥」と同じ
- ^ 「襾」のしたに「升」
- ^ 音は「礥」と同じ
- ^ 『三国志』呉志 孫休伝
- ^ 『三国志』呉志 孫晧伝
- ^ 景皇后と孫𩃙が親子かどうかは不明
- ^ 『三国志』呉志 孫晧伝