大佐山白塚古墳

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大佐山白塚古墳

墳丘・石室開口部
別名 大佐山1号墳
所属 大佐山古墳群
所在地 広島県福山市新市町大字戸手
位置 北緯34度33分45.00秒 東経133度17分44.68秒 / 北緯34.5625000度 東経133.2957444度 / 34.5625000; 133.2957444座標: 北緯34度33分45.00秒 東経133度17分44.68秒 / 北緯34.5625000度 東経133.2957444度 / 34.5625000; 133.2957444
形状 方墳円墳?)
規模 一辺12m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀前半
史跡 広島県指定史跡「大佐山白塚古墳」
地図
大佐山白塚 古墳の位置(広島県内)
大佐山白塚 古墳
大佐山白塚
古墳
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墳頂からの眺望
眼下に大佐山古墳群が分布する。

大佐山白塚古墳(おおさやましらつかこふん、大佐山1号墳)は、広島県福山市新市町戸手にある古墳。形状は方墳(または円墳)。大佐山古墳群を構成する古墳の1つ。広島県指定史跡に指定されている。

概要

広島県東部、神辺平野北縁の大佐山(標高188メートル)の山頂付近において、平野を一望する南斜面に築造された古墳である。一帯に分布する大佐山古墳群のうちでは最大規模になる。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は方形[1][2](または円形[3])で、一辺12メートルを測る[1]。墳丘正面の裾部には貼石状石列が認められる[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。花崗岩の切石による整美な石室で、玄室・羨道の間には石柱が立てられる。副葬品は詳らかでない。築造時期は古墳時代終末期7世紀前半[1][2](または7世紀中葉[2])頃と推定される。

古墳域は1948年昭和23年)に広島県指定史跡に指定されている[3]

埋葬施設

石室 玄室

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[3]

  • 石室全長:7.8メートル[1]
  • 玄室:長さ3.75-3.88メートル、幅1.9メートル、高さ2.2メートル
  • 羨道:長さ約4メートル

石室は花崗岩の切石による整美なもので、玄室と羨道の境には石柱を立ててその上に鴨居状の石を架けて区別する。玄室と羨道の規模を揃えようとした意図が認められるため、羨道部を前室、玄室部を後室とする複室構造の石室と解する説もある[4]。同様の構造をもつ石室としては、大坊古墳(福山市神辺町西中条)・狼塚2号古墳(福山市駅家町法成寺)がある[2]

石室の奥壁には一枚石が用いられ、側壁は玄室・羨道とも2段積みである[4]。「白塚」という名称のいうように石室内面には漆喰が塗られたと考えられるが、現在では明瞭でない[1]

文化財

広島県指定文化財

  • 史跡
    • 大佐山白塚古墳 - 1948年(昭和23年)9月17日指定、1949年(昭和24年)8月2日に指定名称変更[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f 史跡説明板。
  2. ^ a b c d 大佐山白塚古墳(福山市ホームページ)。
  3. ^ a b c d 大佐山白塚古墳(広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」)。
  4. ^ a b 大佐山白塚古墳(古墳) 1989.

参考文献

  • 史跡説明板(福山市教育委員会・新市町商工会青年部、1997年設置)
  • 「大佐山白塚古墳」『日本歴史地名大系 35 広島県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490352 
  • 小都隆「白塚古墳 > 大佐山白塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

外部リンク