境黒彦皇子(さかい の くろひこ の みこ、履中天皇2年(401年)以前 - 安康天皇3年(456年))は允恭天皇の第二皇子。古事記には坂合黒彦皇子とある。
弟・安康天皇をその連れ子・眉輪王が殺すと、境黒彦皇子は弟・大泊瀬稚武皇子(後の雄略天皇)が皇位を継がんとする企みで殺されそうになった。そのため境黒彦皇子と眉輪王は相談して葛城円大臣の邸宅に逃げ込んだが、大臣の助命嘆願も空しく、大泊瀬皇子は邸宅で3人共に焼き殺してしまったという。
また、別の記述では大泊瀬皇子に宅で斬殺されたという。
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