坂東蓑助 (5代目)
ごだいめ ばんどう みのすけ 五代目 坂東蓑助 | |
生年月日 | 1864年 |
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没年月日 | 1910年 |
本名 | 鉄三郎 |
襲名歴 | 坂東利喜松 → 五代目 坂東蓑助 |
出身地 | 三河国碧海郡池鯉鮒宿 |
父 | 十二代目守田勘彌(養父) |
五代目 坂東 蓑助(ごだいめ ばんどう みのすけ、1864年(元治元年) - 1910年(明治43年)は、日本の歌舞伎役者。養父は十二代目守田勘彌。
経歴
元治元年(1864年)、三河国の東海道にある池鯉鮒宿の旅籠、巴屋の次男として生まれた[1][2]。本名は鉄三郎[1][2]。母は碧海郡東境村の泉正寺の生まれである[1][2]。理由は定かでないが、母親とともに巴屋を出て旅役者となり、東京で坂東喜知六の養子となって坂東利喜松と名乗った[2]。
1889年(明治22年)に京都の祇園座がこけら落としを行った際、九代目市川團十郎一座に招かれて出演し、非凡な才能を見せつけた[2]。十二代目守田勘彌に見初められ、五代目坂東蓑助を襲名した[1][2]。1897年(明治30年)に十二代目守田勘彌が急死した後には不遇をかこった[2]。
1909年(明治42年)8月には郷土の碧海郡知立町にある東雲座(後の知立劇場)の公演に出演し[1]。9月には碧海郡刈谷町の大生座(後の大黒座)の公演に出演したが、大生座での興行中に急死した[2]。
養嗣子には刈谷市文化財保護委員を務めた佐藤峻吉がいる[2]。