土屋義夫

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土屋 義夫(つちや よしお、1903年1月19日[1] - 1984年5月16日)は、日本経営者ダイキン工業社長を務めた。

経歴

広島県福山市出身[1]1922年京都帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に住友銀行に入行[1]1943年10月に住友金属に転じ、1951年に取締役に就任[1]。翌年11月に大阪金属工業(のちのダイキン工業)に転じ、専務、副社長を経て、1965年1月に社長に就任し、1972年1月に会長に就任した[1]

マルタ国大阪名誉理事も務めた[1]

1977年11月に勲三等旭日中綬章を受章した[1]

1984年5月16日肺炎のために死去[2]。81歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 人事興信所 1981, つ55頁.
  2. ^ 1984年 5月17日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第31版 下』人事興信所、1981年。 
先代
山田晁
ダイキン工業社長
第2代:1965年 - 1972年
次代
山田稔