善友穎主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Tomato tomato tomato (会話 | 投稿記録) による 2015年2月8日 (日) 14:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (見出し内の脚注を移動しました。(WP:MSH#NOLINK))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

善友 穎主(よしとも の ひでぬし、宝亀10年(779年) - 仁寿元年6月29日851年7月31日))は、平安時代初期の貴族儒学者氏姓は佐夜部首のち善友朝臣。従七位上・佐夜部兄麻呂の子とする系図がある。官位従五位下摂津権介

出自

佐夜部氏(佐夜部首)は伊香我色雄命を祖とする[1]物部氏の同系氏族。子代部の一つと想定される佐夜部の伴造で、摂津国西成郡讃楊郷を本拠とした[2]

経歴

若くして大学に入り、儒教経典を学んで義理(人格の陶冶を目指す学問)に非常に通じていた。天長元年(824年山城少目に任ぜられる。学者としては、承和4年(837年)直講、承和8年(841年)助教、承和14年(847年)大学博士に任ぜられるなど、大学寮で明経道の諸官を歴任する傍ら、承和12年(845年従五位下、承和15年(848年)従五位下と昇進した。またこの間、承和6年(839年)には佐夜部首から善友朝臣に改姓し、左京四条二坊に編附されている[3]

嘉祥2年(849年)穎主は老齢のため致仕を願い出るが、朝廷は老いた儒学者を憐れんで更に穎主を摂津権介に任じた。仁寿元年(851年)6月29日卒去享年72。最終官位は摂津権介従五位下[4]

系譜

出典[5]

  • 父:佐夜部兄麻呂
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:善友飯成
    • 男子:善友広主
    • 女子:

脚注

  1. ^ 新撰姓氏録』 摂津国神別
  2. ^ 佐伯[1994: 246]
  3. ^ 続日本後紀』 承和6年10月19日条
  4. ^ 日本文徳天皇実録』 仁寿元年6月29日条
  5. ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻2、善友朝臣

参考文献