呂公

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呂 公(りょ こう)は、

秦末の人物

呂 公(りょ こう、生没年不詳)は、中国秦末期の人。呂雉の実父。本名は諸説あるが、史記索隠に引く相經によれば呂文(字は叔平)だという。出身はとも汝南新蔡ともいう。単父では名士であった。

得意の人相見で、劉邦を娘呂雉の婿にしたエピソード(詳細)が知られている。史記集解によれば漢の元年に臨泗侯となり、高后元年に呂宣王と追謚したという。郭沫若はこの人物を呂不韋の一族と考えている。

後漢末の人物

呂 公(りょ こう、生没年不詳)は、中国後漢末期の人。劉表配下の将。『三国志』の注に引く『英雄記』に登場する。

193年(初平4年)、劉表が孫堅に攻められた時、呂公配下の兵が石を落として抵抗したところ、孫堅にその石が当たり、頭を強打して脳髄を出す程の傷を受け即死したと言われる。